ご指導してくださる先輩方、友人や家族、そして何より通ってくれる子どもたちとその保護者の皆様のおかげで、無事に3年目を迎えることができそうです。月並みな言い方ですが、あっという間の2年間でした。
私が塾を開校した大きな理由の一つに、受験産業が大嫌いだからというのがあります。
受験産業、と一括りにしてしまうと例外もあるとは思いますが、基本的に本当に大嫌いです。
だったら塾なんてやらないほうが…と思う方もいるかもしれませんが、塾というのは本来は教育のための機関で、受験産業と教育は似ているようでけっこう違うものです。
「勉強するのは受験のため」という誤った考えを正して、より良く生きるための勉強を楽しめる場所が、世の中には必要だと以前から思っていました。それさえできれば成績なんて上がって当然なんです。楽しいだけでは済まないこともたくさんありますけどね。
だから、子どもたちが受験産業の犠牲になることを少しでも防いで、ありもしない恐怖に怯えないで済むように、本当の教育をする場所を自分で作ることにしました。
(※今回のお話でいう受験とは高校の一般入試のことで、試される能力は勉強に関する力です。)
受験産業というのは、コンプレックス産業に近いものだと思っています。
何かが足りない、何かが劣っていると感じている人たちが、ろくでもない連中にカモにされて、弱みにつけ込まれて、不安を煽られて、貴重なお金と時間を無駄にするところがとてもよく似ています。
受験受験と大騒ぎする連中に乗せられて、勉強というものの本来の目的を見失い、自分を高めるチャンスを棒に振るなんてもったいないですよね。
そもそも受験というのは試験を受けることで、性能とか能力とかを測定するのが試験です。
検査のためだけに製品を作るということは、一部の試作品を除いてはあり得ません。同様に、試験のためだけに能力を磨くということが、普通はあり得ないことだというのは分かるはずです。人間には試作品など存在しません。
義務教育期間中に勉強しないというのは、よほど特殊な事情がある場合だけでしょう。「やっていて当然」の勉強の成果を測定してもらうだけのことですから、「受験のためだけに勉強する」というのが大きな間違いだということは、誰にでも分かります。
ところが、なぜかその間違いは絶大な人気があり、かなりの割合の人がそちらの間違った考えのもとで生きています。
そしてその間違いに固執した結果、かけがえのない時間とお金を捧げることと引き換えに、本来必要なことを学ぶ機会を失っています。きちんと勉強する道を選んでいれば何の問題もなかったはずなのに、悲しい話です。
よその子たちも「受験勉強」をやっているから…と、安易な考えで同じことをするのは危険です。能力も成績も確実に下がります。
最後の仕上げ「だけ」真似しても、自分を高めることはできません。むしろ、そこに至るプロセスを無視するということは、ほかの誰かの努力を侮辱することでもあり、そのような行動は自分自身の価値を貶めることにもなりかねません。
たとえば、表面上の形だけ誰か(一流のスポーツ選手など)の真似をして、何かできるような気になっている人がいるとします。
小さな子どもなら微笑ましいかもしれませんが、中学生にもなって本気でそんなことをしていたら、滑稽を通り越して悲しくなりますよね。それと同じことで、勉強も上っ面だけ真似してもみっともないだけですし、その間きちんと努力している人たちとの差は広がる一方です。
そんなことをしてはいけません。
そして、そんなことをやらせようとする連中に近づいてはいけません。
そんなことのために、本来やるべきことからどんどん遠ざかって行くなんて、どこをとっても一分の隙もなく間違っています。
本気で受験勉強の真似をするなら、そこにたどり着くまでのすべてを完璧に真似するべきです。
受験産業から子どもたちを救うために塾を作りました。
一つ計算違いだったのは、同じような思いで作られた塾が、世の中にはたくさんあったということです。自分がしゃしゃり出てくるまでもなかったかもしれません。
ですが、ほかの塾の方たちにもその人なりのやり方があるように、私には私のやり方があります。相手が格上であろうが何だろうが、負けるつもりは微塵もありません。
生徒を利用してやろうと待ち構えている塾が、世の中にはたくさんあります。
一方で、生徒に利用してもらおうと待ち構えている塾も、世の中にはたくさんあります。
どちらを選ぶか、迷う必要はないはずです。
あなたは(もしくはあなたのお子さんは)、受験産業の生贄になるために生まれてきたわけではありません。
どうか、本物の勉強をする機会を、自分から捨てるようなことはしないでください。