最近とてもおかしな話を聞きました。
小学生の算数の問題で、速度を求める「公式」を忘れたから解けない、という話です。
速度とは何なのかをしっかり理解していれば、「公式」を忘れても何の問題もないはずなんですけどね。
20kmの道のりを5時間で歩いたのなら、1時間あたりの移動距離は4kmに決まってます。考えればわかります。
時速15kmで3時間走ったなら、総走行距離は45kmです。15×3で45です。15+15+15でも構いません。これも考えればわかります。
「公式」に数字を当てはめるだけの作業に、どれだけの意味があるのでしょう?意味を理解せずただただ数字を当てはめておしまい、では勉強する意味なんてまったくありません。
図形の面積の公式なども、すべて根拠があってできているものです。
その意味を理解しないでただおぼえるだけでは、公式を忘れたらおしまいの「数字当てはめゲーム」になってしまいます。
タイトルの「0.57」は、あるタイプの問題を解くために使われる数字です。
複雑な面積の問題を「一辺×一辺×0.57」で終わらせる、魔法のような数字です。
ここでどういう問題かは書きません。
ある種の塾では、こういうことを教えるのが「勉強を教えること」だとされているようです。
くだらない、と心の底から思います。
図形の面積を出す問題は、「本当に面積が必要で、どうしても知りたいから小学生にお願いして計算してもらってる」わけではありません。
生きていくうえで役に立つ力を身に付けるために用意された、様々な、そしてとても大切な問題のうちの一つなんです。
個々の問題は、それだけを取り出して見れば大して役に立たなそうだったりもします。
何がどう役に立つのかわかりづらいのは、それぞれの項目があまりにも噛み砕かれているからです。
噛み砕かずにそのまま提供したら小学生には歯が立たないレベルのものを、先人たちが長い時間をかけて噛み砕いたものです。
だからある意味では洗練されすぎていて、一目見ただけでは何の役に立つのかわからないような仕上がりになっています。
正解を出すことはもちろん尊いことです。
ただ、そのために「0.57」などというものを持ち出すのは本末転倒です。正解さえ出れば何でもいいというわけじゃないんです。
未知の問題に出会ったときに、「この問題はどう解けばいいんだろう?」と考えることこそが尊いんです。その機会を奪う「0.57」みたいなものは邪魔なだけです。
力を振り絞って自分の頭で考えて問題に挑んだ人と、「0.57」で終わらせた人とでは、同じ問題を解くのでも、意味がまったく変わってきます。
将来、目の前に立ちはだかる壁に全力で挑めるのはどちらでしょう?
確実なのは、そのときには「0.57」などというちっぽけな武器は何の役にも立たないということです。