みなさん、塾って必要ですか?私はあまり必要だとは思いません。
私自身、中学生のころは塾にも行かず参考書も問題集も買わず、自力で勉強していました。
最高順位は約400人中2位で、1位は取れませんでしたが、特に後悔はしていません。
教科書があって、英和辞典があって、学校の授業が受けられれば、このレベルのことはほとんどの人にできることだと思います。
「そんなレベルになれるのは特別な人間だけ」と思った方は私に会いに来てください。特別どころか平凡以下の人間だとわかってもらえるはずです。
勉強ができない理由は千差万別で、一概にどうこう言えるものではありません。
お子さん自身にやる気がない場合もあれば、親御さんに問題があることもあります。
お子さんに対して「勉強できないように育てよう」と思っている親御さんはいないでしょうから、そんなことを言われるとカチンと来るかもしれません。
ただ、嘘を書いても仕方ありませんし、大事なことなので書きました。
もちろん責めてるわけじゃありませんよ。
確かフロイトだったと思うのですが、ある女性から「子育てが上手くできない」と相談されたときに、「好きなようにやってください。どのみち上手くいきませんから」と答えたそうです。
昔から、誰がやっても、どうにも上手くいかないことだったようです。それだけ大変なことに挑んでいるんですから、いきなり100点満点は出せないのが普通だと思います。
お子さんを変えるために、まずは親御さんから変わりませんか?
お子さんの現状をしっかり把握して、善後策を練りましょう。必ず光明は見出せます。
一度や二度の失敗なんて、たいした問題じゃありません。今から取り戻せばいいじゃないですか。
お子さんが勉強が苦手な理由を探し出して、対策を講じていきましょう。
「内申3は普通じゃありません。意欲関心態度提出物で4は取れます」という話をよく聞きます。
私に言わせれば4も普通じゃないです。公立中学校では、教科書があって、授業が受けられれば、5が取れるからです。天が与えた才能…なんていりません。
当然「5なんて簡単に取れる」というわけではありませんが、努力次第で取れるようにはなっています。取れない人には取れない理由があるだけです。
細かい理由はケースバイケースですが、端的に言えば基礎ができていないということです。
公立中学ならば、内申5は基礎ができているということ、つまりスタートラインに立てたという程度の意味でしかありません。
では、どうすれば基礎ができるようになるのか。
本題の前に少し逆の話をしてみましょう。
一向に基礎ができるようにならない、間違った勉強法の紹介です。
ここだけ読めば何かつかめる人もいるかもしれません。
基礎ができていない以上、まずは基礎から…となるはずが、一教科すらもまともにできていないのに、「受験生」だから「受験勉強」を始めようとする生徒がいます。生徒だけならまだしも、保護者の方の中にもそういう人がいます。本当にお子さんが気の毒でなりません。
「受験勉強」のどこがいけないのか、3つの視点から解説していきます。
お子さんが何がどうできないのか、把握するのは容易なことではありません。
理想を言えば、「できないことがないように指導すればよかった」ということになりますが、前述のように子育てというのはそう簡単なものではありません。それぞれの事情の中で精一杯やった結果だと思いますので、恥じる必要は微塵もありません。
お子さんのことを考えたら、きちんと弱点を補強してくれる専門家に頼るというのは、現状でできる最高のことかもしれません。塾の出番です。
ただし、ここで塾選びを間違えると下手すればマイナスの効果になりかねません。
「とりあえず塾に入れておけば安心」…というわけにはいかないんです。
基礎ができていないのに「予習型」の学習なんて何の足しにもなりません。
今日のことができない、昨日のことすらできないのに、明日のことなんてできますか?
場合によっては、学校で落ちこぼれて塾でも落ちこぼれるといった形で、ますます勉強嫌いになってしまいます。
ましてや一対一、一対二などの、専門家でも高いスキルが必要な指導法を、学生バイト講師に任せているようなところでは、わざわざ依存心を育てているようなもので、更にできない方向に進めているだけになってしまいます。
内申5が取れないお子さんの塾選びは、くれぐれも慎重にお願いします。
一教科もまともにできないのならば、五教科なんてできません。五教科内申20にも達していないのに、「受験勉強」をさせるなんて、「親らしいことをしてやった」という自己満足でしかありません。そんなことより先に、やらなければいけない大事なことがほかにいくらでもあります。
どうせだったら本当に親らしいことをしましょう。
塾選び、人の親としてのとても大事な仕事だと思います。本気で頑張ってください。
塾の中でも特に大手のチェーン店においてありがちな話です。
はじめに断っておきますが、大手チェーンのすべてに当てはまることではありません。
以前、とあるご家庭のお子さんから相談を受けました。塾で渡された問題集について、どこから手をつければいいかわからないということでした。
その問題集を見せられて愕然としました。その子は内申5どころか4も取れない教科がほとんどのレベルだったのですが、そんな成績の子に対して受験用の教材を山ほど与えているのです。
そのときは、単なる金儲けのために受験生を食い物にしているひどい塾だと思いましたが、後にこの現象の本当の理由を知って、もっと悲しくなりました。
一部の大手の塾は、クレーム対策として大量の受験用教材を販売しています。
入試の後に保護者の方から「ここの問題集に載っていなかった問題が入試で出題された」というクレームが入ることを避けるために、何でもかんでも詰め込んで漏れがないようにしなくてはならないからです。
当然、ほとんどの生徒にとってこなせる量でもレベルでもないのはわかった上での話です。
「こなせなかったのは本人の責任で、こちらは悪くありません」。この一言のためだけの、大量の教材ということです。
教材を渡せば「受験勉強」をやらせていることになります。できないことをできるようにしてあげる必要はありません。というより、そんな余裕はありません。量が多すぎるので、細かいことに構っていられないんです。心が痛むことを考慮しなければ、楽なのかもしれません。
生徒のためではなく、クレーム対策のため。これが「受験勉強」だそうです。
勉強というものの本質は、できないことをできるようになることです。当然ですが、ある程度の負荷がかかります。
ところが前述の塾のようなところでは、大量の教材をこなさなくてはいけません。この際わかるわからないは二の次にしてとにかく終わらせなくちゃ…とかやっているうちに大事なことを見失います。
子どもたちは楽なほうに流されがちです。
「できない→できる」というエネルギーを消費する勉強よりも、「できない→できない」という勉強風の何かのほうが楽なので、ついつい誘惑に負けてしまいます。
周りの大人の言うがままに、とりあえず解答欄を埋めていれば、「勉強してる気分」を味わえて、一定の満足感は得られます。何も身に付かないままだとしても、です。
すでに周回遅れになっていたとしても、そのことには目をつぶって、周りに合わせて「受験勉強」というものをやっている…というささやかな達成感と引き換えに、残されたのは結局何一つまともにできないままの、自称「受験生」です。
間違えないでほしいのですが、勉強というものは受験のために開発されたものではありません。
受験のために勉強するなんて本末転倒です。
受験生である前に一人の人間です。勉強の結果というのは、単にその人がどう生きているかが反映されているに過ぎません。
「受験のために勉強する」ということは、裏を返せば「受験がなければ勉強しない」という意識のあらわれです。そういう生き方がしたいなら、それはそれでいいんです。
ただ、勉強から逃げるための言い訳に受験を利用するのは、まともな受験生に失礼だと思います。
本物の受験勉強がしたければ、まずは五教科内申22程度を目指しましょう。
本当に勉強から逃げたいのなら、高校に進学しなければいいだけの話です。高校というのは勉強しに行くところですから。
長くなりましたのでページを分けます。
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